ドドゴゴノート

好きなクラシックの感想です

モーツァルト:交響曲第29・34番

モーツァルト:交響曲第29・34番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
録音:1985、86年 ウィーン

 

 


モーツァルトの天才をもってしても、18歳の作とは思われないほどの傑作である交響曲と、24歳の時に書かれた充実した交響曲です。
これらの2曲は、このあとに来るヴィーン時代のさらに成熟した交響曲の先駆けをなす重要な作品です。

交響曲第29番イ長調K.201(KR186a)

楽器編成:0b2、Hrn2、Vn2部、Va、Vc、Cb
完成:1774年4月6日
作曲地:ザルツブルク
第1楽章:アレグロモデラート4分の4拍子、第2楽章:アンダンテ(ニ長調)4分の2拍子、
第3楽章:メヌエット
第4楽章:アレグロ・コン・スピーリト8分の6拍子

モーツァルト父子は、3度目のヴィーン旅行をするため、1773年7月14日にザルツブルクを発ち、10週間ほどヴィーンに滞在しました。
この旅行の目的は、おそらく、3度にわたるイタリア旅行も終えて充分に成長した17歳のモーツァルトが、同地の宮廷から作品の委嘱を受けたりなんらかの職を得ようとすることに在っただろうと思われますが、具体的なことは専門家によってもまだ確認されていません。
いずれにしても、実際的な目的は達成されませんでしたが、このヴィーン滞在の間に、モーツァルトは、当時の同市におけるもっとも新しい音楽の数々に触れることができました。
特にヨーゼフ・ハイドン弦楽四重奏曲交響曲の作り方が柔軟なモーツァルトの音楽思想に大きな影響を及ぼしたと思われます。

交響曲第25番ト短調K.183はその具体的な一例です。
モーツァルトはこのヴィーン滞在中に、6曲の四重奏曲(K.168、169、170、171、172、173)を作曲していますが、それより前に書かれたいわゆるミラーノ四重奏曲(K.156、157、158、159、160:1772年末一1773年初め)が3楽章制であるのに対して、これらのヴィーン四重奏曲が4楽章制になっていることもまた、その現れです。
新しい四重奏曲の書法に親しんだことは、交響曲第29番の書き方にも大きな痕跡を留めていると考えられます。

交響曲第29番は上記のように4つの楽章から出来ていますが、メヌエット楽章以外はすべてソナタ形式で書かれている上、それらの楽章がいずれも、再現部のあとに独立した結尾部(コーダ)を持つという、モーツァルトとしてはかなり特殊な構造を示しています。
ヴィーンで学んだ室内楽的な書法は、楽器編成の面で管楽器をオーボエとホルンに限ってそれらを効果的に用いていることに現れています。
それはまた、すでに第1楽章冒頭の弦楽器群による第1主題の呈示にも見られます。そこでは、第1ヴァイオリンが下降跳躍オクターヴで始まる優雅な第1主題を奏し始めると、他の弦楽器がそれを彩るような動きを見せ、フォルテによる総奏の第1主題の確保の所では、ヴィオラと低音楽器が組みになって主題をカノン風に模倣します。
第2主題のあと、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのやりとりで現れる旋律はホ長調ですから、これは第2主題の副主題とも言えるものですが、このような楽句を持つことは、モーツァルトの音楽の特徴のひと一つである多主題性を示しています。
呈示部と、展開部再現部の組み合わせはそれぞれ反復され、そのあとに、第1主題がフーガのストレッタ風に処理される堂々とした結尾部(コーダ)が付いています。第2楽章もソナタ形式で書かれていますが、モーツァルトの見事な旋律の流れが堪能できます。この楽章では、弦楽器にはずっと弱音器が付けられています。第1ヴァイオリンで始められる、複付点が特徴的な第1主題には、他の楽器が対位法的に絡み、それが第2ヴァイオリンで繰り返される時には、第1ヴァイオリンが彩りを添えます。
展開部では、小結尾部(コデッタ)に現れる16分音符の3連音が多用されます。
再現部の第1主題のあとに2度挿入される第1ヴアイオリンの2音符2日は、いかにもモーツァルト風の機知を感じさせます。
呈示部と、展開部再現部の組みがそれぞれ反復されたあと結尾部になり、そこで第1主題が現れる所から弱音器が取り外されます。
メヌエットは付点音符が多くリズミカルではありますが、舞曲的と言うよりは交響的と言えるかもしれません。
ふたつのメヌエット部のそれぞれの最後は、オーボエとホルンのユニゾンのファンファーレ風になっています。
流麗なトリオはメヌエットと対照的ですが、第2トリオの初めにモーツァルトの好んだ下降半音階が聞かれます。
第4楽章の第1主題(譜例3)は第1楽章の第1主題と同じく下降跳躍オクターヴを持っており、モーツァルトがこの交響曲の両端楽章に主題の上での関連性を持たせようとしたことを窺わせます。
展開部は第1主題の動機による充実したもので、再現部のあと、第1主題で始まる結尾部で締め括られます。
ソナタ形式のそれぞれの部分の終わりにヴァイオリンの細かい上昇楽句が付いているのは面白い趣向です。
このフィナーレに狩りの雰囲気を指摘する人もいますし、この交響曲全体に、ザルツブルクの宮廷音楽家であったハイドンの弟ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)の交響曲イ長調(1774年3月4日に改作)の直接的な影響が見られると言っている人もいます。

 

交響曲第34番ハ長調K.338

楽器編成:0b2、Fg2、Hrn2、Trp2、Timp、Vn2部、Va、Vc、Cb
完成:1780年8月29日
作曲地:ザルツブルク
第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ4分の4f、
第2楽章:アンダンテ・ディ・モルト・ピウ・トスト・アレグレットpidtostoallegretto)(へ長調)4分の2拍子
第3楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ8分の6拍子


モーツァルトは、1778年9月から1779年1月にかけてのマンハイムミュンヘン、パリ旅行のあと、ザルツブルク交響曲を3曲(第32番K.318、第33番K.319、第34番K.338)作曲しました。
この第34番は作曲直後にザルツブルクで初演されたかもしれないのですが、その記録は残されておりません。
1781年4月111日付の父親あてのモーツァルトの手紙によると、4月3日にヴィーンのケルントナートール劇場で、40本のヴァイオリン、6本のファゴットなどから成る大編成のオーケストラによって1曲の交響曲が演奏されて大成功を収めたことが記されており、それがこの曲ではなかったかと考えられています。
1782年のヴィーンにおける演奏の際、K.409のメヌエットが用いられたのではないかと推測した専門家もいましたので、オイレンブルクの総譜にはこのメヌエットが掲載されています。
しかし、自筆講の第1楽章の裏のページに書かれているメヌエット楽章の冒頭が抹殺されていること、このメヌエットの規模が第34番のメヌエットとしては大きすぎることなどから、今日では、第34番は3楽章で完結した曲であると考えられており、このCDでも、3楽章の山として録音されています。

この交響曲には、モーツァルトマンハイムやパリで知った作曲技法が、第33番(K.297)の《パリ交響曲》よりもさらに集大成された形で、かつ構成的に用いられています。
第1楽章は型どおりソナタ形式ですが、モーツアルトソナタ形式の多くの楽章と異なり、どの部分にも反復記号が付けられていません。
第1主題は、言わばハ長調らしく、大らかに堂々と始められ、イタリア風序曲を偲ばせます。
トリルを持つ弱奏がそれに答えますが、強弱の交替はハ短調に留まって、陰影が付けられます。
この曲では一般に、長調短調の交替や遠隔調への転調による情感の揺れが日立ちます。
第2主題は下降半音階で始まり、ロンバルディーア・リズムがそれに続きます。
展開部の冒頭の総奏の所で弦楽器群がリズム型を6回も繰り返す所はいくらか無気味な感じがします(この箇所を“呪文”と呼んだ人もいます)。
第2楽章は、自筆譜では弦楽合奏になっていますが、のちの筆写譜では、すべて2本のファゴットが加えられています。
ファゴットは常に低音声部を重複し、また、ヴィオラはずっと、2部に分かれています。
この楽章は2部分形式(ないしは、いわゆる展開部を欠いたソナタ形式)で書かれており、優美ななかにも情感のたゆたいを見せています。
速度指示に有るピウ・トスト・アレグレット(“むしろアレグレット"]は、モーツァルトがドナウエシンゲンの楽団のコンサート・マスターのために記入したもののようです。
この人のテンポの取り方が遅すぎたためでしょうか。
第3楽章は、バロック時代の組曲の最終楽章に多く用いられていたジーグという舞曲の8分の6拍子による、いわゆるジーグ・フィナーレですが、畳み込むような激しさを持っています。
ソナタ形式で書かれており、総奏のユニゾンで奔流は切って落とされますが、第2主題は第1ヴァイオリンで軽やかに流れます。
呈示部が繰り返されたあと、オーボエの二重奏に先導される展開部が続きます。
リズム動機の際立つ短い展開部から再現部にかけての部分も全面的に繰り返されます。
なお、この交響曲全体に対してハイドン交響曲第56番ハ長調(1771年)の影響が見られると言っている人もいます。