ドドゴゴノート

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ワーグナー:交響曲、ジークフリート牧歌


ワーグナー
交響曲-ジークフリート牧歌

ベルリン放送管弦楽団
指揮:ハインツ・レーグナー
録音:1978年 ベルリン・キリスト教

 

 


交響曲ハ長調


これはワーグナーが遺した唯一の交響曲です。
1813年5月22日、ライプツィヒに生を享けた彼は、十五歳のとき初めてベートーヴェンを聴いて感動し、音楽家になろうと決心したそうです。
1831年、十八歳でライブツィヒ大学に入り、音楽と哲学を聴講し、聖トーマス教会合唱長のヴァインリッヒに対位法を学びました。
1832年、十九歳のとき、最初のオペラ「婚礼」を作曲しましたが、 後に破棄してしまいました。
交響曲」が書かれたのも同じ年であり、ワーグナーはまだライプツィヒ大学に在学中でした。
この年の夏、彼はこの「交響曲」を持ってウィーン、 プランへの旅に出ました。
そしてプラハ音楽院の初代院長 ディオニュスウェーバーの知遇を得、持参した新作の交響曲は同音楽院の学生オーケストラによって、ウェーバー自身の指揮で初演されました。
そして秋も深まる頃ライプツィヒに帰りましたが、今度は故郷のオイテルベ楽団によって演奏され、さらに翌1833年1月にはゲヴアントハウス管弦楽団の定期公演に採り上げられるという好運を得ました。
後にシューマンの妻となった十二歳の少女クララがこの曲の噂を耳にし、「ベートーヴェンの第七交響曲にそっくりだということです」と未来の夫シューマンに手紙を書いたのはこの時のことです。

2年後、メンデルスゾーンがゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任しましたが、ワーグナーは彼に「交響曲」のスコアを渡し、演奏することを依頼しました。
しかしメンデルスゾーンはこの曲を黙殺し、彼の死によってスコアも紛失してしまいました。
そして30年後の1877年、ドレスデンにおいてワーグナーの古いトランクの中から偶然プラハ初演当時のパート譜が発見され、1882年のクリスマスに、ワーグナーと弟子のフンパーディンクがそれぞれ前半後半を指揮して50年ぶりの演奏が行われたのでした。

なお、ワーグナー1834年、二十一歳のとき、「第2交響曲」の作曲に着手したが、第1楽章を書いただけで放棄してしまいました。


第1楽章

ソステヌート・エ・マエストーソーアレグ
ロ・コンプリオ
長大な序奏を持ったソナタ形式の楽章です。
序奏部はものものしい和音の連続の後、内容的な動きがつづき、惣重に終わります。
主部の第一主題はヴァイオリンのさざ波を伴奏としてチェロが奏するハ長調主和音の分散であり、郎々たる希望に満ちた、さながら人生の夜明けのようにすばらしいもので、いかにもワーグナーらしく、聴いていて胸が広々とふくらむ想いがあります。
第二主題は明るく軽やかなト長調でリズミックに弦に奏され、次いで木管に受渡されます。

展開部は第一主題によって神秘的に開始され、巧みな転調、意味深い色彩変化によって音楽的なドラマが進められます。
途中から第二主題も加わりますが、ホルンがハ長調で第一主題を吹き明らすあたりはロマンそのものです。
堂々たる第一主題の再現、型通り原調に移される第二主題とつづき、コーダでは第一主題を今度はトランペットがファンファーレのように吹奏し、誇らかに終結します。音楽的な密度はさほど高くありませんが、 申分なく魅力的であり、後のシューマンの「ライン」がしきりに思い出されます。


第2楽章

アンダンテ・マノン・トロッポウン・ ポコ・マエストーソ
A-B-A-B-コーダによるイ短調の緩徐な章です。
木管による導入間の後、第一主題が弦でつぶやくように、訴えるように提示されます。
過度に深刻ではないが、悲しみと憧れに満ちています。チェロによって先導される後半はヴァイオリンのさらに美しい旋律の織り成しが実にチャーミングで、その心からの歌は、これまた後のメンデルスゾーンの「スコットランド」 にも似ています。

へ長調の第二部はトランペットとティンパニのリズムによって行進曲調であり、力強く反復されます。
Aの再現は心の動揺のようにドラマティックに変化しており、Bは短縮されて現われます。
そして冒頭と同じように始まるコーダによって終りを告げるのです。

第3楽章

アレグロ・アッサイ
相野な活気に溢れたスケルツォであり、トリオはメロディックなものに変るが、調は同じハ長調を保ちます。
スケルツォの再現の後、トリオも再現され、コーダで終わります。


第4楽章

アレグロモルト・エ・ヴィヴァーチェ
典型的なソナタ形式による終曲です。
二つの主題はいずれもシューベルトを想わせる舞曲調で、転調の効果が著しく、かつ劇的に進められます。
展開部は第一主題が活躍し、充実したオーケストレーションと緊密な構築が目立ち、コーダはテンポを速め、情熱的に高掲していき、さながらベートーヴェンのような念を押す終結によって全曲を閉じます。

 

ジークフリート牧歌

ワーグナー管弦楽曲中、もっとも家庭的な情愛と室内楽風の慎ましさを持った作品で、広く愛奏されています。
ワーグナーはコジマとの間に二人の女児をもうけた後、1869年に至って長男を得ました。
五十六歳のときの子供になります。
折から楽劇「ジークフリート」を作曲中であった彼はこの長男にジークフリートという名前をつけ、その欲びを音楽に託そうと、翌1870年「ジークフリート牧歌」を書いたのです。

同年12月25日、コジマの誕生日のプレゼントとしてこの曲は初演されました。
ワーグナーは秘密のうちにこのスコアをハンス・リヒターに渡し、リヒターはチューリッヒの有名なオーケストラから優秀な楽員を集めてひそかに練習し、クリスマスの朝早く、コジマの寝室の傍の階段に集まってワーグナーの指揮で演奏を開始しました。
この瞬間まで何も知らずに寝ていたコジマ夫人の驚きと喜びは申すまでもありません。
楽員の数は第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラクラリネット、ホルン各2、フルート、オーボエファゴット、 チェロ、コントラバス各1の計15名、そしてヴィオラ を弾いていたリヒターがトランペットの出る12小節だけこの楽器を吹きました。
演奏はこの日数回くりかえされ、子供たちはこれを「はしご段の音楽」と呼んだそうです。

曲はまず楽劇「ジークフリート」の〈愛の平和〉の動機によって始まりますが、この優しい旋律が全曲の主要主題となります。
つづいて「ワルキューレ」の「眠り」の 動機がフルートで加わり、オーボエがドイツ民の民謡の「眠れ、幼な子よ、眠れ」を奏し、やがてクラリネットが楽劇「ジークフリート」の中の「世界の宝」の動機を吹きます。
それ以後は〈愛の平和〉と〈世界の宝〉を主として展開され、急所にはホルンの〈愛の決心〈の動機や、木管の《小鳥の声〉の動機も導入され、終りには今までの主題が静かに回想されつつ全曲を閉じます。

ついでにワーグナーの長男ジークフリートは、後に指揮者となってバイロイトワーグナー祭を主宰したそうです。