ドドゴゴノート

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ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4・5番

ベートーヴェン

ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調作品23
ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調作品24「スプリング」

マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
録音:1987年3月 ベルリン、イエスキリスト教

 

 

 

アルゲリッチクレーメルという歴史に残る二人の名手が、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を目指して進めていた録音の第2作になります。
先立つ1枚、ソナタ第1番、第2番で彼らふたりは、青春の薫りと輝きにみちたベートーヴェン20歳代最後の時期の作品のはつらつとした感情を、持ち前の音楽的フレキシビリティで存分に開放し、余すところなく表現して聴かせてくれてました。

そこで聴くことのできたコンチェルタンテな競いあい、そしてそれ以上に素敵だった相手を伴奏する場面での細やかな協調の心にとんだ美は、今回の第4番・5番でも同じように十全に発揮されています。

ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調作品23

第4番のソナタを開始するプレストの、快活で目映いばかりの清新な演奏がはじまった瞬間から、その思い切りのよい急進的な表現と、それに対照させられる軽く力を抜いて音を空中に浮遊させるような、のびやかで心のこもった表現の細心の演奏ぶりには、誰もが魅了されてしまうでしょう。
この楽章だけでなく、ディスク全体を通じて感嘆させられるリズムの表情の自在さとともに――。

この曲の第2楽章は「アンダンテ・スケルツォーソ、ピウ・アレグレット」という、とても微妙な指示をもっています。
恐らくベートーヴェンはここで、通常の緩徐楽章のしっとりした情感と、スケルツォ楽章の諧謔味を兼ねそなえた音楽を書きたかったのでしょうが、そのふたつのあるいは互いに相反するものを、これほど自然に結びついたものとして聴かせてくれる演奏は稀だと思います。
ことにピアノの低音声部からスタートするトリルを含んだフーガ風の第2主題での、アルゲリッチクレーメルの敏感な弾みの音と明快なフレージングが重なり合って作りだす見通しのよい時間の楽しみは格別というほかありません。
展開部でも細かな音符にふたりが払う精緻で生きのよい気遣いは冴えた生気を呼んでいます。

フィナーレは一気に先を目指す壮快な速度が基調となっていますが、それぞれのエピソードでの余裕をもったテンポのたゆたいに込められた情感の綾の美しさも忘れ難いです。
再現されるたびにより切実感を加えるロンド主題が最後に何気なく終止する場面まで、作為的でないのびやかさと音楽の機知が生きています。

ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調作品24「スプリング」

ソナタ第5番《スプリング》も気負わない自在な感興の発露が、作品の明るく健やか空気感とでも呼べるものをみごとに表しています。

第1楽章冒頭のあの魅惑的な旋律による開始も、予めテンポを決めてはじめるのではなく、風の中から生まれるメロディのようにいとも自然に引きだされたのちに、旋律がもっているやわらかな推進力で自ら進んでゆくような印象です。
ヴァイオリンは晴朗なこの旋律のうちの16分音符を装飾音のように扱うことによって、不必要に構成的になるのを避けてしなやかに歌い、ピアノも単純な伴奏型を自在な呼吸をもってヴァイオリンに添わせて、惚れぼれとさせる瞬間を作っています。

第2主題では一転して切っ先の鋭い意志の力が鮮やかなコントラストを描きます。
この部分から第1主題へと反復するときの素直な表情の美しさは、第1楽章中でも最大の聴きどころといえるでしょう。
エネルギッシュな楽器同士の交歓が展開部の昂揚をもたらし、今度は楽器を替えてピアノから導かれる主題の再現の柔和ななめらかさも同じく素晴らしいです。

ピアノの分散和音に先行され、その伴奏型にのってピアノの右手に歌いだされる旋律をヴァイオリンが飾ることではじまる第2楽章は、ハンマーが叩くピアノ、弓で弾かれるヴアイオリンという表面的な発音の異なりを越えて、ふたつの楽器が音楽的に互いに寄り添いあう美しさにみちています。
分散和音のほどよいにじみと旋律のそれを素晴らしいバランスで弾きだすアルゲリッチに、クレーメルも間接的に照明を当てたようなやわらかな音で趣を添えています。
モルトエスプレッシオーネの指示に忠実な、夢の中を漂うような繊細な情緒です。

風のひと吹きのように一見何気なく颯爽と弾き通されたような短いスケルツォにも、ふたりの音楽の生気と弾みはあふれています。
再び春のような情感をたたえたフィナーレも、ピアノが主題をはじめてヴァイオリンがこれを繰り返してはじまりますが、そのメロディと伴奏型のニュアンスやバランスは、これまでの楽章のそれとは微妙に異なっており、爛漫の春の中にあってそれが過ぎていくことを惜しむような風情が格別です。
ここでもテンポは予定されたものではなくて、音楽のすきまが自ら作り出す自在な感興に揺れ動きます。
口ンド主題が再現するたびにこらされる作曲上の工夫も、とても美しく表現されています。

この演奏においてアルゲリッチクレーメルのふたりは、音楽の自然な呼吸と、美しさには信じ難いほどに微妙な、ほとんど無限といってよい諧調の段階があることを教えてくれています。
ベートーヴェンが偉大さで迫るのではなく、音楽の全体が初々しいものとして再現させられているのを堪能できます。