ドドゴゴノート

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モーツァルト:交響曲第25・26・27番

 

モーツァルト

交響曲第25番

交響曲第26番

交響曲第27番_

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
録音:1985年 ウィーン

 

 

 

このCDに収められた3曲の交響曲は、いずれも1773年に作曲されたものです。
モーツアルトはその前年の10月に、ミラノのオーストリア系の宮廷から作曲を委嘱されていたオペラ「ルーチョ・シッラ」の完成と上演のために3度目のイタリア旅行に出発し、1773年3月13日に故郷のザルツブルクに帰りましたが、その直後に交響曲の作曲に取り掛かり、2ヵ月の間に、第26番と第27番を含む4曲を作曲しました。
ミラノでは当時、サンマルティーニらを初めとする作曲家たちによって、オペラの序曲から独立したシンフォニアの作曲が盛んだったので、モーツァルトはそれに刺激を受けていたのかもしれませんが、ミラノの愛好家から作曲の委嘱を受けていたと考えられるふしも有るようです。
その後モーツァルトは、また、7月14日から9月26日まで、仕事を求めて、父とともに3度目のヴィーン旅行をしましたが、いい仕事の依頼を受けたり、適当な職を得ることはできませんでした。
しかし、当時のヴィーンにおける音楽的風土の新しい息吹きに浸ったことは、次の時期の創作に大きな痕跡を残すことになりました。
“疾風怒濤"と呼ばれた芸術上の主張と運動の中で、音楽においても、悲愴な情感の表出が好まれるようになり、ハイドンの場合にも1772年ごろから短調の曲が多くなっています。
モーツァルトはヴィーンにおいて、ハイドンの曲はもとより、おそらく、ヴァンハ(1739-1813)やクリスティアン・バッハ(1735-1782)らの短調の交響曲を聴いたことでしょう。
その影響は、特に、10月に完成された第25番に端的に現れていると考えられます。
モーツァルトは、ザルツブルクに帰ってから、この年に2(または3)曲の交響曲を書いたほかに、はじめての独自のクラヴィーア協奏曲(K.175,1773年12月)なども作曲しました。

 

交響曲第25番ト短調K.183(K173dB)

作曲地:ザルツブルク
第1楽章4分の4拍子、
第2楽章(変ホ長調)4分の2拍子
第3楽章メヌエット(トリオ:ト長調)
第4楽章4分の4拍子
1788年に作曲された有名な3つの交響曲の中のト短調の曲(K.550)とともに、主調が短調であるモーツァルトのたった2曲の交響曲のひとつというだけでも、この曲の特異さが分かります。
“小ト短調”などとも呼ばれており、おそらくこの作曲家の10代の作品の中で、もっともよく聴かれるもののひとつでしょう。
作曲の時期に関する今日の定説によれば、第25番という番号は適切でないことになります。
楽器編成(ホルン4)や曲想や楽曲全体の構成(メヌエット楽章を入れていることなど)の点から見ても、少し前に書かれた交響曲との間にかなりの差が有ることは、このCDの他の2曲と比べてみてもすぐに分かります。
この曲が書かれたのには、先にも触れたとおり、ヴィーン滞在中に同地の新しい傾向を知ったことによるところが大きいと考えられますが、わけても彼が尊敬していたハイドン(1732-1809)の短調の交響曲、特に第39番ト短調(1768-69年ごろ作曲)の影響が強かったのではないかという見解(ラールセン)が有ります。
モーツァルトのこのト短調の交響曲が、ヴィーンの新しい雰囲気に触発されて生まれたことは間違いの無いところでしょうが、快活な曲の中でも突如として噴出するデモーニッシュ、ないしはペシミスティックな情感がこの曲に顕在化したと言えないこともないと思われます。

第1楽章と第4楽章は、いずれもソナタ形式で書かれているという点だけではなく、展開部と再現部が全面的に繰り返されたあとに、コーダ「結尾部」が付けられている点など、構造的にもよく似ているばかりでなく、第4楽章に第1楽章の第1主題に見られるシンコペイションのリズムが現れるなど、楽章間の連関にも意が用いられていることが分かります。
モーツァルトの多くの曲について言えることですが、この曲の場合にも、どの楽章にも序奏的な部分はまったく無くて、いきなり主題が提示されます(このCDの他の曲も同じです)。
第1楽章はこの曲の白眉とも言えるでしょう。
第1主題は、オーボエと、シンコペイションのリズムによるヴァイオリンとのユニゾンで示されますが、第3小節から第4小節にかけての減7度の下降跳躍は特徴的です。
この楽章は緊迫感に富んでおり、随所にのちの第40番を髣髴させます(同様のことは、他の楽章についても言えるでしょう)。
モーツァルトのソナタ形式の楽章では、再現部で第2主題が主調で帰って来るのが常ですが、この交響曲でも第1楽章と第4楽章にその例が見られます(ちなみに、ハイドンの第39番もそうですし、クリスティアン・バッハの曲にも同じ手法によるものが有ります)。
第2楽章は長調のソナタ形式で書かれていますが、第2主題はオペラ・ブッファ的と言われます。
メヌエットのトリオは管楽器だけで奏され、オーボエの旋律がのびやかで和やかな気分を醸し出します。
この交響曲は全体として悲愴感に溢れていますが、若いモーツァルトの生気と流動性にも事欠かないように思われます。


交響曲第26番変ホ長調K.184(K161a)

完成:1773年3月30日
作曲地:ザルツブルク
第1楽章:4分の4拍子
第2楽章:(ハ短調)4分の2拍子
第3楽章:8分の3拍子

第3次イタリア旅行から帰って間もなく作曲されたもので、この時期のいわゆるザルツブルク交響曲の最初の曲と考えられています。
第1楽章と第2楽章は完全に終止すること無く、その次の楽章が続けて演奏されますし、ソナタ形式の楽章でも反復記号の付いている部分はまったく無く、全体として、いわゆるイタリア風序曲(シンフォニア)の形に近いと考えられ、劇場的な雰囲気を持っています。
現にこの曲は、1785年ごろからモーツァルト自身の承諾を得て、プリューメッによるフランスの芝居の翻案『ラナッサの幕開けの音楽として用いられたことが知られています。
第2楽章は蕩揺感の有る短調楽章で、5音符ずつの第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの応答で始められ、またモーツァルトの音楽のひとつの特徴である下降半音階が効果的に響いてきます。


交響曲第27番ト長調K.199(K1616)

完成:1773年4月10日あるいは16日
作曲地:ザルツブルク
第1楽章:4分の3拍子
第2楽章:(二長調)4分の2拍子
第3楽章:8分の3拍子
第26番に続いて作曲されたと考えられ、いわゆるザルツブルク交響曲の2曲目に当たります。
3つの楽章ともにソナタ形式で書かれており、提示部は勿論のこと、展開部と再現部とが組みになって反復されますが、第3楽章ではそのあとにコーダが付けられています。
第2楽章の第2主題が再現する前に、あたかも主題の再現かと思わせるような4小節が置かれているのは、ちょっとおもしろい工夫です。
第3楽章の第1主題は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの対位法的な書法で提示されますが、第1主題の再現のあとにもそのような手法が駆使されており、4つの符点4分音符の動機とも相俟って、のちのジュピター(K.551)を想起させるところが有るように思われます。
この曲は青春期のモーツァルトの生気はつらつとした流動感に溢れていますが、第2楽章の第2主題のあとや展開部に聞かれる一種の翳りは、やはりモーツァルト独特のものと言えるでしょうか。