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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第9・10・11・19・20番_

 

ベートーヴェン

ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 作品14の1

ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 作品14の2

ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 作品22

ピアノ・ソナタ第19番 ト短調 作品49の2

ピアノ・ソナタ第20番 ト長調 作品49の2

スヴァトスラフ・リヒテル(ピアノ)
録音:1963年

 

 

 

ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 作品14の1

ベートーヴェンの作品14には2曲のピアノ・ソナタが含まれます。
それらの出版広告がヴィーナー・ツァイトゥング紙上に出たのが1799年12月21日、作曲はおそらく前年からその年にかけて行なわれたものと考えられています。
もっともノッテボームは、これらの曲のスケッチが、1795年完成のピアノ協奏曲 第2番変ロ長調のそれと同じノートにみられるところから、構想はかなり早くから芽生えていたはずだと述べていますが、しかし曲の性格からみて、いずれにしても作曲そのものはごく短期間で終了したとみるのが妥当だといわれています。
なお悲愴の標題を持つ有名な第8番ハ短調ソナタもやはり1798-99年ごろの作と推定されており、作品14の2曲がそれに先立って 完成した可能性もないことはないらしいです。

これら2曲のソナタは、いずれも3楽章構成のきわめて簡潔な音楽になっています。
内容的にも、作曲者の気負いも、深刻な訴えもとくになく、ベートーヴェンの作品としては異例なほど当りが柔らかいです。
そのためとかく軽くみられがちでありますが、むしろこの作曲家の人間性の幅の広さをうかがわせる愛すべき小品として珍重されるべきものだと思います。
なおこれら2曲は、ブラウン男爵夫人ヨゼフィーネに献呈されました。
夫のペーター・フォン・ブラウンは当時ブルクおよびケルントナートア劇場の支配人をつとめていた一種のブルジョア新興貴族で、ベートーヴェンとはあまり仲が良くなく、ことに、のちにフィデリオ改訂版の上演(1806年)をめぐってひと悶着が起きたのは有名な話です。
すなわち、十分な下準備もないまま上演を強行するなどしたブラウンの高圧的な態度に対して、怒りを爆発させたベートーヴェンは、自分の取り分が少なすぎるとかみついたのです。
するとブラウンは、悪いことにモーツァルトをを引き合いに出して、それならモーツァルトのように「大衆」を感動させる音楽を書いて劇場を満員にしたらどうだと反論します。
いよいよ怒り狂ったベートーヴェンは、総譜をひったくるようにして憤然と席を立ったのでした。
彼は、かつて夫人にこのようなサービスーこのほかにも作品を献呈している一をしたにもかかわらず、男爵が自分に対してあまり好意的でないのを、つねづね苦々しく思っていたふしがあるようです。


第9番ホ長調ソナタには緩徐楽章がありません。
アレグレットのテンポによる中間楽章はスケルツォ風の気分を持ち、続くフィナーレはとりわけ軽いタッチで書かれています。

 

第1楽章アレグロホ長調ソナタ形式

第2楽章 アレグレット ホ短調 3部形式
第3楽章ロンド:アレグロ・コモドホ長調 ロンド形式

 

 

ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 作品14の2

ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中でも最も愛らしい魅力を備えたもののひとつで、古くから「夫婦ソナタ」などと呼ばれてきました。
なるほど第1楽章冒頭の主題などは、必ずしも男女間のそれに限ることはないにしても、人の会話を思わせなくもありません。


第2楽章は作品番号を持つソナタとしては初めての変奏曲形式です。
フィナーレがスケルツォとなっているのが異色ですが、これはどこか羽目を外したようなところのあるこの楽章の気分に由来するのかも知れません。


第1楽章アレグロ ト長調 ソナタ形式
第2楽章アンダンテ ハ長調主題と3つの変奏曲
第3楽章スケルツォ:アレグロ・アッサイト長調 ロンド形式

 

ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 作品22

このソナタは1799年から1800年にかけて、弦楽四重奏曲集作品18、七重奏曲作品20、交響曲第1番作品21などの錚々たる作品と並行して作曲されました。
べートーヴェンは1801年1月、ライプツィヒの出版者ホフマイスターに宛てた手紙の中で、これを「大独奏ソナタ」と呼び、値を20ドゥカーテンとしています。
ちなみに、同じ手紙の中で交響曲第1番につけた値段がやはり20ドゥカーテン、初演当時から人気の高かった七重奏曲も同様です。
またピアノ協奏曲第2番は半額の10ドゥカーテンとなっています。
交響曲や七重奏曲の場合は、ソナタほど売れ行きがよくないであろうことを見越して値段を抑えたようですが、それにしてもピアノ・ソナタ交響曲とが同額とは少し意外です。
どうやらベートーヴェンは、ソナタの出来栄えに相当な自信があったらしく、手紙でもわざわざ「このソナタは立派なものです」と自賛することを忘れていません。
実際、ベートーヴェンの20代最後の一時期を飾るこの曲には、青春のみずみずしい感情が美しく刻印されており、時期的にもちょうど「前期」を締めくくる位置にある傑作となっています。
この曲はベートーヴェンの熱心な支持者のひとりだったヨハン・ ゲオルク・フォン・ブロウネ伯爵に捧げられました。


曲は全4楽章の堂々たる構成で、はつらつとした気分に浸れる第1楽章のあと、しばしば「ロマン派のノクターン」にもたとえられる美しい緩徐楽章、 メヌエットの第3楽章をはさんで、ピアニスティックな効果に満ちたロンドで全曲が締めくくられています。

第1楽章アレグロ・コン・ブリオ変ロ長調 ソナタ形式
第2楽章アダージョ・コン・モルタ・エスプレッシオーネ 変ホ長調 ソナタ形式
第3楽章 メヌエット 変ロ長調 3部形式
第4楽章ロンド:アレグレット 変ロ長調 ロンド形式


ピアノ・ソナタ第19番ト短調 作品49の1

「作品49」として出版された2曲は、前述の「作品14」よりもさらにいちだんと小ぢんまりした、ベートーヴェンとしてはまったく異色のピアノ・ソナタです。
これらはソナタの通し番号では第19番と第 20番となっている-第21番は1804年完成のワル トシュタイン〉です-ため、あたかも中期の入口あたりの作かと錯覚しかねないですが、それは出版が遅れたためで、作曲はずっと早く、1795年から97年の間に行なわれたものと推察されています。
とすると、 ピアノ・ソナタの最初のグループである「作品2」の3曲とほぼ同時期か、その直後の作ということになります。
いずれにしても最初期であることは間違いありません。
2曲はどちらも2楽章のごく小さな構成で、ウィーンの美術工芸社から出た初版(1805年)が「2つのやさしいソナタ」と題されていたように、技術的にもたいへんやさしいものです。
おそらくベートーヴェンは、これらを弟子のレッスン用に書いたものと考えられており、現在でもピアノの初心者たちによって盛んに弾かれています。
とは言え音楽的には粗末なものでは断じてなく、ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタの中に大きな顔をして並んでいる資格は十分あります。
第19番ト短調は次の2つの楽章からなっています。
第1楽章アンダンテ ト短調ソナタ形式
第2楽章 ロンド:アレグロ ト長調 ロンド形式

 

ピアノ・ソナタ第20番ト長調 作品49の2

通し番号とは逆に、第19番よりもこちらの方が早く完成されたものとみられています。
第2楽章の主題が上述の七重奏曲作品20の第3楽章に転用されたのは周知の通りです。

第1楽章 アレグロ、マ・ノン・トロッポ ト長調ソナタ形式
第2楽章テンポ・ディ・メヌエットト長調ロンド形式