バッハ:ブランデンブルク協奏曲第123番
バッハ
ブランデンブルク協奏曲第1-2-3番
チューリヒ・バロック合奏団
指揮:カール・シューリヒト
録音:1966年5月 チューリヒ
6曲から成る〈ブランデンブルク協奏曲〉はバッハが書いたコンチェルトの頂点を成す傑作であり、同時にバロック協奏曲の総決算でもありました。
これらはいずれもイタリア・バロックの産物であるコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)のスタイルに、バッハがドイツの精神を吹き込み、よりがっしりとした骨組をあたえるとともに、種々な楽器の組み合せを試みて多彩な効果を生み出したのです。
バッハは1717年からケーテンのレオポルド公に仕え、1723年までの6年間を過ごしました。
いわゆるケーテン時代です。
レオポルド公は音楽の良き理解者であり、バッハを心から尊敬し、あくまでも友人として遇してくれました。
宮廷は壮麗で美しい庭園に囲まれ、17名から成る腕の良いオーケストラがあったため、宮廷楽長としてのバッハは、自然コンチェルトなどの華やかな技巧を発揮させる世俗曲を多く書くようになりました。
6曲のブランデンブルク協奏曲も1718年から21年頃にかけて、ケーテンの宮廷楽団のために書いた作品だが、1721年3月24日付で、ブランデンブルクの領主ルードヴィッヒ侯に捧げたため、この名前で呼ばれるようになりました。
バロック時代のコンチェルト・グロッソはイタリアの作曲家の手によって発達し、ドイツのバッハやヘンデルに受けつがれましたが、数個の独奏楽器群(コンチェルティーノ)を合奏部(リピエーノ)と対立させる形で書かれた楽曲で、楽章は次第に急一桜一急の3楽章形式となり、終楽章はジーグ風の性格を持ったフーガを用いることが多かった。
そしてバロック後期に入ると、協奏曲はコンチェルト・グロッソからソロ・コンチェルトへと移り、独奏が旋律的にも技術的にも独立して主導権を握るようになるのです。
16曲のくブランデンブルク協奏曲〉のうち、普通のコンチェルト・グロッソ)の形態をとっているのは第2番第4番第5番の3曲であり、<第3番〉と〈第6番〉はアーノルド・シェリングのいう〈コンチェルト・シンフォニア)のスタイル、すなわち合奏と合奏との組合せ、そして第1番は両者の折衷型になっています。
これら6曲はすべて楽器編成を異にし、その多様性にはまさにおどろくべきものがあります。
第1番へ長調BWV1046
第1楽章
速度の指定はないが、当時の世習からアレグロで演奏されます。
独奏部と合奏部の対立はあまりはっきりしていませんが、ホルンの動きが目立ち、ヴィオリーノ・ピッコロは第1ヴァイオリンと一緒に動きます。
第2楽章
ホルンが除かれ、ヴィオリーノ・ピッコロが美しいソロを聴かせます。
第3楽章
再びホルンが加わり、ヴィオリーノ・ピッコロが華やかに活躍します。
第4楽章
ポラッカ(ポロネーズ)と二つのトリオを持ったメヌエットで、独奏部と合奏部の対立はありません。
中では弦楽のみによるポラッカと、ホルン、オーポエの三重奏による第2トリオのひなびた音色感が印象的です。
第2番ヘ長調BWV1047
第1楽章
トランペットの華やかな音色と技巧が目立つ楽草で、他の独奏楽器はそれを助ける形となります。
第2楽章
独奏部のトランペットと合奏部が沈黙し、フルート、オーボエ、独奏ヴァイオリンおよび通奏低音が呼び合う美しい楽章です。
第3楽章
第1楽章と同じ編成だが、さらに明るく、さらに愉しいです。
第3番
第1楽章
6曲におよぶブランデンブルク協奏曲の中でも最も魅惑的な楽章で、それは偏に2本のブロックフレーテが作り出す雅やかの限りをつくした音色感にあると思います。
第2楽章
どこか悲劇的な味わいを持った表情ゆたかな楽章です。
第3楽章
ヴィオラによって開始されるリズミックな主題によるフーガの終曲です。